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今日はたくさんの方の貴重なお時間を私に頂きましてありがとうございます。「お好み焼き屋」なものでそっちのほうは自信はあるんですが、人の前で話すのは苦手なもので、なにかとつたない話になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
話の前にご紹介したいものを皆さんにお配りしてあります。自分の人生が変わったというのは、ある会合に出ていろいろな人と知り合ったというのがすごくあったんですが、そんな中で覚えた、「商売人の道」という福沢諭吉の言葉なんですが、それをちょっと読ませてもらいます。
「農民は連帯感に生きる。商人は孤独を生き甲斐にしなくてはならぬ。総ては競争者である。」
「農民は安定を求める。商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばなければならぬ。」
「農民は安全を欲する。商人は冒険を望まねばならぬ。絶えず危険な世界を求めそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり、隠居であるに過ぎぬ。」
「農民は土着を喜ぶ。大地に根を深くおろそうとする。商人は何処からでも養分を吸い上げられる浮草でなければならぬ。その故郷は住む処すべてである。自分の墓所はこの全世界である。先祖伝来の土地などと言う商人は一刻も早く算盤を捨てて鍬をとるべきである。」
「石橋をたたいて歩いてはならぬ。人の作った道を用心し乍ら通るのは子供と老人の仕事である。我が歩む所そのものが道である。他人の道は自分の道ではないというのが商人の道である。」
「商人の道の会」という集まりがありまして、毎月1回集った時にこの言葉を読み合わせしているというわけです。
私は18年10月18日に大阪で生まれました。父親は衣料問屋をやっていたんですが、昭和19年の大阪大空襲で全部焼け出されました。さらに疎開先の四国の松山でも空襲にあいまして、母親は私と兄を前と後ろに背負って頭から毛布をかぶり、川の中で一晩中、焼夷弾から私たちを護ってくれたということです。昭和20年の8月7日、広島の原爆は2歳だったということになります。閃光くらいは見ているかもしれません。先日大阪のラーメン博物館というところにいきまして、そこでは大阪の古い町並みの中に、昔の飛行機の爆音を流していたんですが、その時いきなり思いだしたのがB29の爆音でした。ものごころつかないころの私でも、そうした怖い、記憶が今だに残っているんですね。ですから今回のイラクなんかの子供たちのことを考えると、あの空爆の傷は癒えないんだろうなと本当に胸がいたみます。
小さい時はいつも裸足で、近くの海なんかで遊びまわっていましたが、昭和30年、私が小学校6年の時に松山から大阪に戻りました。親子6人が4畳半で、2年間に5回引越ししたのを覚えています。相当貧乏だったみたいで、学校を卒業したら親を助けるために早く働きたいと思っていました。中学卒業するとすぐ就職しまして、優しい会社だったもので「学校くらい出なさい」と定時制に通いながら働きはじめました。当時は丸坊主で体重も40Kgそこそこ、丁稚奉公みたいな感じでしたね。
昭和37、8年ごろに、年齢でいうと17、8歳ぐらいなんですが、「宮本武蔵」を読みまして、自分が、あまりにもちっちゃい、心が弱い、他人に言われたら何も言えないという嫌な性格だということに気づきました。それを何とか克服したいと、それからも「徳川家康」とか「坂本竜馬」などの剣豪列伝、それに松下幸之助さんや本田宗一郎さんなど、出世した人の本を一生懸命読み漁った。そして「自分も偉くなりたいな。金持ちになりたいな。」という思いがしたんですね。
昭和39年、まず人生を変えたいなと思っていた時、たまたま自衛隊のパンフレットを目にしまして、自分を強くするならこういう男の世界がいいだろうということで入隊しました。もちろん親は猛反対したんですが、それを押し切って自衛隊に入った。できるだけ親と離れて苦労したいと思い、任地は北海道を希望しました。ちょうどオリンピックの年でしたが、平屋も多く、まだ市電がたくさん走っていましたね。
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