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イベント

2003年 第12回ナレッジランチ

念願のお好み焼き屋開業
札幌で自衛隊には全部で3年間在籍したんですが、その間「北海道にはどうしてお好み焼きがないんだろうな?」という単純な思いを持っていました。「除隊したらお好み焼き屋をやろうかな」などと思いながら、在職中でしたが場所をさがし始めました。なかなかいい場所がみつからずにいたのですが、昭和42年1月、もうすぐ除隊で、このままなら大阪に帰らなくちゃいけないなと言う時、不思議なんですが、ある電停に偶然降りたんですね。今の静修高校のあたりです。貸し店舗の張り紙が目に付き、すぐそこに飛び込みました。
もちろんこちらの人にはお好み焼きなんかは知らなくて、なにかオヤキのことかなと思っていたらしかった。年のほうも22歳ですし、大家さんも「一度家に帰って親に聞いてきなさい」ということでした。大阪に帰りましたが、「うまくいくわけはない」と反対されました。大阪時代、ただ学校さぼってテレビを見に行ったのがお好み焼き屋だったというだけで、お好み焼きに対するノウハウなんか持ち合わせていません。お金もないし知り合いもいなかったんですが、ただ好きだったという単純な発想で始めてしまったんです。
さてオープンはしましたが誰もきてくれません。1日500円、1000円、2000円と言う売上でして、1ヶ月では4万から5万といったところでしたね。お帰りの時に「おいしかったよ」といっていただき、「おおきにおおきに」といいながらお客さんの背中をみて商売を続けました。ともかくノウハウなんてなにもないんですから、お客さんにどうしたら喜んでもらえるかをまず考えるというのが、創業者としての唯一のノウハウだったかなと思ったりします。テレビを買うまでに3年かかり、電話をつけたのが5年後、昭和47年ぐらいだったですかね。わずか3坪ぐらいの店で5人も入ったら満員になる。近くの南高の学生さんに助けられましてね、私の誇りでもありますが、当時のお客さんが、もう50歳近いでしょうが、そのお子さん、お孫さんと3代にわたっていまでもお付き合いいただいています。幸せ者だと思っています。それ以来こつこつと一つの店で20年間やってきたんです。
昭和61年、商工会議所で「ニューリーダー」という塾が開催されまして、北大の真野先生が講師で、受講料は15万円でした。当時はまだカウンターの中でお客さん相手に仕事していましたから、店を1時間、2時間空けることになんだか罪悪感を感じました。それまでは名刺も要らない手帳も要らない毎日の人生でしたが、そのとき初めてこわごわ名刺を手渡したりしたんですね。先生も怖いし、みんな社長さんとか大きな会社の幹部の皆さんでしたから、「こりゃえらいとこにきてしまった」と思いましたが、なんとか1年間通いました。もうひとつ「倫理研究会」というのが毎週土曜日の早朝おこなわれていて、そこにも参加させてもらい、あとは冒頭にお話した「商人の会」にも加入させてもらいました。いずれも成功している人たちばっかりが集まっていますから、けっこうわがままな社長なんかが多かったんですが、なぜか可愛がっていただきまして、私にとって良かったのは、謙虚になれたというか、後ろのほうから他人の生き様を見せてもらえた。言葉遣い息遣いを見せて頂けたということでしょう。
なんだかまじめで一生懸命のように思われるかもしれませんが、本人としてはそうでもありません。先日京都の醍醐寺で法話をお聞きした折、お坊さんが「醍醐寺では盗難避けのお守りを売っていますが、盗難避けとはなんでしょう?」と聞かれまして、ある女性は「お金!」と答えました。私はおもわず「淫乱の心」といってしまいました。お坊さんも一瞬とまどっていました。結局「あれもしたいこれもしたいという欲望から心を戒めるためのお守りです」と言うお話だったんですが、私は自分の心を制することはぜったい難しいと思い、そのお守りを買うことはしませんでした。私はけっこう人間としては軽く生きているほうだと思います。軽くというより楽しく生きたいというほうで、常に前向き、マイナスをプラスに取り替えていくという性格だと思っています。
「ニューリーダー」真野塾とかの集まりに行きだしてから、いきなり人生が変わってしまうんですね。店をもう一軒出したんです。それがたちまち繁盛してしまう。3軒目も同じでまた4軒目というぐあいに、欲が欲を生んできたというか、お金がなくてもリース会社が貸してくれるとかありまして、どんどん出店していった。自分の夢はいつか街の真ん中にお店を出したいということでしたが、澄川、南22条,手稲、麻生とか街を取り囲んではいるんですが、なかなか中央には進出できませんでした。ある時きっかけがあって、南1条西2丁目の小さな場所にやっと店を開くことができたんですね。ともかく店を出せば全て繁盛しました。ファクトリーの中にお店を出す時も「はたして?」とおもっていましたらなんとか出店させてもらえました。こういうふうに出店数が増えますと「『風月』さんお金があるんだろう」と思われ、信頼もついてきまして、何年か前ならとうてい無理と思われた、札幌駅のパセオにまで出店できるようになってしまいました。
「ぼくにはバブルなどない」などと有頂天になっていたんですが、ある時、「店は数ではなく、中味だよ」とある他人に言われましてふと気づいたんです。「自分では店を出すことばっかりに目がいっていたけど、誰もついてきていないんじゃないかな」と思った時に足元がガタガタッときた感じがしまして「これはいけない」と思ったわけです。一軒々々は赤字ではないわけですから、これを減らすというのは大変な勇気のいることでした。経営だなんて生意気なことを言っていたんですが、商売というのは、自分の目の見える範囲でするもんだなと思ったんですよ。店を閉めるにあたっては、2、3軒目まではよかったんですが、短期間で出店しているものですから、設備投資の分が残っちゃう。利益が出るもんですから、設備投資は償却損で落せばいいと考えていたんですが、店が少なくなるとだんだん金が回らなくなってくる。タコが自分の足を食べていくように、金になる店も売っていくといったようになっていきました。そうすると今度は税金ですね。滞納するとすごい利息がついてくるわけですよ。税務署にいくと「じゃ潰したら?」なんて軽く言うんですよ。ゴルフの会員権以外、会社、自宅、保証金など全て税務署の担保として差し出しました。
もうどこもお金は貸してくれません。でもそれでよかったのは無駄な投資がいっさいできなくなったことです。歯を食いしばってともかくあるものを活かしていく。
最初ファクトリーでやったんですが、イベントでお好み焼きを売るといったことを始めました。これが売れるんです。しかも現金ですから実のところ、店にとっては大変に助かりました。「お好み焼きの文化」を広めようという格好いいことで始めたんですが、その一方ではなんとか会社を潰さないようにと、自ら出かけていって懸命に売るといったことだったんです。「新商品の開発してる」とか「現場になかなか入る機会がないもんで」とか言い訳しながらも、なんとかそれをいままで続けてきたことが、今では大きなプラスになっています。去年ぐらいから恥ずかしいかななんて思うようになったんですが、「恥ずかしいと思うことが恥ずかしい」と戒めています。今年も大通り公園でやってると思いますのでよろしければ声を掛けてみてください。こんな具合になんとか切り抜けてきて、今年税務署の担保も外してもらえたんです。

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